稽古もひとり、ひとり語り

毎回、同じ作品をやるんでも、ひとり語りは、稽古もする。

1時間オーバーの時間、身体がついていけるかが、やはり心配。

ちょっと不安ながら、いつもやりだすと結構1時間ちょっとの時間読み続けられる。

大丈夫。

ほっとする。

そして、発見する。

あれ、この言葉、この語尾、このフレーズ、
もっと、なんとかなるなあ。
流さないでやれば、もっと何か生まれるなあ。



ICレコーダーに録音して、
それを聴いて、イメージして、
また、読んで。

ひとりで繰り返す。

以前、西陣ファクトリーガーデンでやってたときは、
音響も、照明も、美術も入れてもらってたから、
時々は人がいる稽古場だったけど、
見てもらえるようになるまでは、
ひとりで作る。

ひとりで黙々となんかやるの、
結構好きかも。

今さらだけど。

今日もひとりで稽古するつもり。

しかし、今は実家なので、
実家の座敷で、稽古する。

隣近所はびっくりしているかもしれない。

ふすまの陰では母が聞いてたりする。

台所の音が聞こえてきたりする。

けど、やり通す。

これで、気が散らなければ、大丈夫!ということやな。

なんちゅう基準や!

「桜の森の満開の下」も、今回久々に読んだら、
またちょっと、違う。

ちょっと、楽になって、軽くなって、
「これは、歳とれば、とるほど“かろみ”なるものが出て良くなるやもしれん…と感じた。

この、ひとりの作業は、私のライフワークなのだ。
私は「ひとり」の人なのかもしれない。
「ひとり」でやることを大事にしながら、多くの人と繋がることを拒まず、楽しんで…

また、「ひとり」に帰ってくる。

この公演の形自体が、私自身を表現しているのかもしれないなあ。
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by futu-is-best | 2012-03-19 09:48 | 表現すること