演劇の自律性を求めて

というのが、私の卒論の副題した。

何という大仰なのでしょう。
若かった、気負ってました。
だが、しかし、そんなことを考えていたのも事実。

タイトルは「アントナン・アルトー『演劇の形而上学』」だったかな。
あれ?どっちが副題だったかな?
忘れた…

ま、とにかくそんなことを考えていたのです。

昨日、iaku「流れんな」を見ました。

なんというか、ショックな感じ。
本当に一言で「良かった」とか「おもしろかった」とか「凄かった」とか言うのは違うなと思う。
観劇が、観劇体験ではなくて、人生における自分に起こった一つの体験になるような感じ。

それは、まぎれもなく、私がいつも理想とする演劇の演劇たる独自性。





タカハ劇団も、素晴らしかったけど、
そこには、方法論としての感覚に驚かされるという部分があったことを否めない。
演劇をやっているものとしての驚きだ。

そして、つらつら、考えている。

時代も、社会も、男も、女も、家族も、地域も、世代も含みこんで
眼の前に、ゴン!と提出できる。
そこに立ち会う観客も、同様にそんな絡みを内包してそこにいる。

あらゆることに同時に現場に立ち会わねばならないという、演劇の特殊性。

演劇の可能性、演劇の意味。

それを成立させる、欠くべからざる「俳優」という身体の存在。

今を作り出せる演出と、俳優の存在。
もちろん、本ありきの話だ。

三位一体。
観客含めて四位一体。

そこが核心だよな。
そこが、核心なのだ。

そう、思って、「また俳優養成に立ち向かっていける」と思う。
ともすれば、経済の理屈につぶされそうになる俳優養成の現場、
しかし、それが私たちの大切な表現の場である以上、
この核心をぶらさずいなくちゃならないだろう。

そして、たくさんの真摯な表現者たちが
得体のしれない情熱に動かされ、ちゃんとしたものを作っている。

私もちゃんと作っていかねば。
俳優という立場で芝居がしたいと、久々に強く思った…

ちゃんとしよう。
ちゃんと。
ちゃんとね。
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by futu-is-best | 2013-06-30 11:15 | 表現すること