「風たちぬ」を見る

いわゆる、ジブリである。
いわゆる、話題作である。

泣けたとしたら、「愛」にである。

「一途」「美意識」にである。
泣けたよ、その「美意識」に「センチメンタリズム」に。

ただ、しかし…

反戦とはそないに関係ないと思った次第である。

飛行機への一途な「愛」であり、
運命の伴侶への、一途な「愛」と理想的な「美意識」である。

飛行機への一途な「愛」がゼロ戦を生み、
運命の伴侶への「愛」が、別れと死への近道を作る。

戦争と人間の探究心の関係はどうなる?






人間が、「愛」に動かされ、
「愛に動かされる」人間を美しいと感じるなら、
ゼロ戦を生み、原爆を生み出すことは、
それこそ、「人間的営み」と言えるのではないか?

人間は「生み出してしまう」生き物なのだ。

では、どうやって、生み出したものを「捨てる」のか?

今、問われているのはそこではないのか?

「捨てる」…
それには知性が必要だ。
「生命の今後」「地球の今後」という大きなテーマをイメージしながら
次の時間をつなごうとする「知性」の作業が…
「無私の知性」が…

「泣いてる場合」ではないのだと思う。

ジブリ的センチメンタリズムに「泣いてる場合」ではないのではないのか?

映画がダメだとは思わない。
とても素晴らしい。
省略と描き込みと、なんといっても動き。
それは生命の動き、「風立ちぬ」、「いざ生きめやも」。
風を感じる、生きろ!と言っている。
今、生きていると言っている。

そこにかける表現は素晴らしい。

日本人の本気のスイッチを押せるか?

「ジブリ」は「ジブリ」になりすぎた。
今回の心意気は十分感じるが、観客にとって
「ジブリ」は「ジブリ」過ぎるのだと思う。

それは、「政治」が「政治」過ぎるのと、同じことなのかもしれない。

何もできない私だけれど、
どこかから、大きな風が吹いて来て、
私たちをどこかに運んでくれるとは、思わない方が良いのだと感じる。
風をおこすか、
無風になるか…

無風になるかいっそ、一度。

耳を閉ざし、目をふさぎ、
身体の声を聴いてみるか…

マスコミの仕掛けを疑うことから始めるべきか。
そんなことを思ったのでした。
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by futu-is-best | 2013-07-28 01:33 | 日記