なぜだか知らねど、泣いていた。そして笑っていた。

「ある精肉店のはなし」を観た。
気になっていたが、見る機会を逃していた。
そしたら、今日2月9日(ニクの日)に岸和田で上映しているという情報。
昨日今日と、二日間だけの上映だったんですが…

驚いた。
冒頭のシーンはびくりした。
しかし、その後、
なんだかわからないけれど、涙が出て、
牛をさばいていく手作業は、見事で、美しくさえあり、
北出一家の皆さんは、
とても、自然に生きていいて、
居住まいが柔らかで、暖かく、幸福感に満ちていて、
可愛くて、笑ってしまう。




綺麗な映画だった。
透明な映画だった。

「命」が押し寄せてくる。
「命」の波に揺さぶられて、泣けてくる。

シンプルな真実。
生きる。
食べる。
命をいただく。
感謝する。
その循環の中に人間の「命」がある。

シンプル。

終映後、監督がパンフレットにサインしてくれた。
で、お話した。
若くて、可愛らし女性。
彼女の目線の美しさがこの映画を作ったのだ。

「言葉にならないものを、表現するために映像があると思って」
http://www.huffingtonpost.jp/2013/12/04/hanabusa-aya-eomans-story_n_4388338.html

芸術は「言葉にならないもの」を形にしようとする行為なのだ。
それは多分小説であったとしても。
言葉にならないもの…言葉にしてしまったら、こぼれ落ちるものが多過ぎるなにか。

佐村河内なんたらっていう人の問題とか、
出来上がった曲が良ければそれはそれでいいと思う。
ゴーストライターの人も、職人としての気持ちはわかる気がする。
彼の曲の発表の仕方の問題なら、
ふたりの立場を明らかにしてやれば良かったのに…で済むかもしれない。
が、彼がやりたかったことは「曲」の発表ではなかったのだ。

佐村河内某かの、「虚栄心」と「嘘」が嫌だ。
特に「被爆二世」とか「全聾」とか「指に巻かれた包帯」とか「杖」とか、
そういうもので作り上げた虚像が浅ましい。
薄汚い感じがする。
そんな付属物に安易にしてやられてる我々が嫌だ。

そこに行くと、この映画の清々しさ。
部落差別の問題を底辺に置きながら、
そんなことはちっぽけなことに思われるほど、
圧倒的な「命」の力のシンプルさ。
人間がくっ付ける付属物の浅ましく、ちっぽけでくだらないという事が浮き彫りになる。

文句を言うより、自分の行いをまず、シンプルに美しくしていくこう。
偉そうな文言だけが人に影響を与えるわけじゃない。

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by futu-is-best | 2014-02-09 23:28 | 日記