えーっと、私の子供時代のこと

先日、ツイッターで、西加奈子著「円卓」を読んで、

西加奈子著「円卓」を読む。母親に「あんたを子供と思ったことないわ」と言わしめ、父親に「あいつになんかいうと怖い」と言わしめた子供であった私は、痛く共感。わからないことだらけだったなあと思う。「孤高の人」が私の頭の中にあった言葉。石太やぽっさんや、姉ちゃんがいたら違ってたのかな

と書いた。
私の母が、「自分の子供と思ったことがない」というわけではなく、
私の父が、「3歳児の私を恐れていたわけではない」

母曰く、「1歳にもなれば、人の手を煩わせることなく食べ、泣きもせず、文句も言わず、
     小学生にもなれば、外で怪我しても自分で赤チンつけて、そのまままた走ってでいてく、
     なんて、可愛げのない子供だろう、と思った」ということで、
父にすれば「怖い」というより「うるさい」ので、本当に怖いと思ったのは「中学以上」になってからだと思う。

みんな、そうだったんだろう。
誰でも世界と初めて出会い、
何かしらと折り合いを付け、
上手くやり過ごす方法を見つけていくだろう。
子供はしたたかなのだ。
したたかにできたなければ、生きていけない。

その、折り合いを付ける場所が違うのかなと思う。

私の妹と母は、「そんなん私もそうやった、けど、それはそういうもんやと思わなしゃあないやん!適当にやっといたらええねん。」という。
「だからそうしてきた」と。

だが、私は「しゃあないとして、なんで、そこで折り合いをつければいいのかわからんのや」と思う。
「そうせなしんどいやん」と妹と母は言う。
私は「そうした方が私にはしんどい」と言う。
「だから、みんなが折り合いつけてる点と別の折り合いのつけ方を探さなあかんかったんや」
「皆が、折り合いつけられるところで、折り合いつけられないということがしんどかった。が、
そこで折り合いつけようとすると、気が変になりそうになる。自分の折り合いがつくところをさがさねばならなかった。
たとえ、それが人様から見ると、しんどくて、きつくて、無意味に思えても、私には、そうしないほうが、しんどかったのだから」

「そんなもんやん」と思えて、そうできたなら、そうしたらいい。
そうできないから、皆が思う、「普通」の道から外れていく。
それも、人の普通だろう。

「私やったらこうする」と言われても、私はあなたじゃないのだ。
「私はこうやけど、あんたはそうなんや。そうやったら、こうした方がええんちゃう」
そんな言葉をもらえていたら、私の人生は変わったのだろうかと思うこともあるが、
そんなことを言える大人はそうそういない。
だから子供は、あがいて、あがいて、自分の道を探すのだ。
傷なんて、直る。
傷ついたところは、皮膚が分厚くなって、強くなるねん!

そんなことを、今更、私たちに語らせるとは…西加奈子、恐るべし!

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by futu-is-best | 2014-05-30 21:36 | 日記