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答えにはならないだろうけれど。

小学生のとき、「僕は12歳」という詩集を読んだ。
12歳で自殺した男のが書き残した詩を集めたもの。
詳しいことは実は忘れた、でも、たった一つ印象に残っているのは
「ああ、この子は世の中を見切ってしまったんだな。見切ってしまって、可能性を感じられなくなったんだな、だから死んだのだな」と思ったことと、
「私は死ねないな、世の中がわかったとはとても思えないだろうからな」と思ったこと。

で、考えた。
なぜ、生まれたのか。
何のために生きるのか。
はっきりとした答えはみつからない。
で、こう考えることにした。

「生まれたのに理由は無い。なぜ生まれたかは問うまい。生まれたという事実があるだけ。じゃあ、どう生きるかを考えよう。時間が流れ、私たちはいつか死ぬ。それだけは絶対だ。死ぬまで生きる、それしかできないのだから。後悔しないように生きる。自分が選んだのだから、誰のせいでもないのだから、そう納得していけるように生きる。どこで死んでもいいように生きる。」

私は私から逃げられない。
私が考えていることは、どんなに知識を詰め込もうと、
どんなに、想像力を働かせようと、私からは出られない。
だから、私には私のわかることしかわからない。
でも、だからこそ、私以外のものに関心を持ち、理解しようと努めなくてはと思う。
私からは逃げられないけど、経験を通して、私を変えていくことはできる。
経験しながら、納得していくことはできる。

そう思えるようになるまでは、いろいろ痛いこともあったけれど。
痛い思いもさせたけれど。
本で読んだ達観した生き方が、本で読むだけで自分のものになれば楽だけど、
そうはいかないものだから。

私の考えが真理とは思わないけど、私にはそう感じられるので、
正直にそれを表現する。それしかできないので。
でも、おせっかいかもしれないこんなことが、
仕事になったりするようになって、
ああ、このために私は生まれたのかなと時々思うようになった。
そんなたいそうな価値があるわけじゃないけど、
そう思うと、自分が楽なるので、そう思うようにしている。

私には、経験できない私以外の人の人生。
どうやっても、本当の他人の気持ちはわからない。
他人の経験を全く同じに経験することは不可能だ。
だから、想像して、近づいて、わかろうとしてみる。

芝居をやっていると、時に、奇跡のように自分の感覚が広がることがある。
その経験を、学校やワークショップで使う。
芝居をとおして、生きるのが私の生き方になってきたのだ。
小さな選択の積み重ねの結果。
これからも選択は続いていくけど。

by futu-is-best | 2007-02-06 11:27